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2005,12,11-2006,1,9 やさしいテクノロジーについて

12月6日の『ナウシカ』のテーマに触発されて、 「やさしいテクノロジー」について技術論的な観点から考えてみました(エッセー)。別紙

2005,12,10 自動車テクノロジーの諸問題 技術哲学・倫理の視点から(関西大学授業資料)

「テクノロジーとデザイン(産業技術論II)」の資料です。 いつもは学生の発表なのですが、たまたま私自身が発表する機会があったので、アップしておきます。日本の道路の歴史−−古代〜現代−−から、現代の自動車中心の道路のあり方を批判的に考えます。 別紙

2005,12,6  自然・技術・人間 『ナウシカ』と『もののけ姫』より(龍谷大授業資料)

「哲学概論」の資料です。直前の授業までは、学生の発表によって、「介護」や「老い」の問題を取り上げていました。その後、『ナウシカ』と『もののけ姫』の構造分析を数回の授業で学生にやってもらい、それをまとめてレポートを作成してもらいました。私のほうからも議論の参考までにと簡単にまとめてみたので、アップします。両作品における登場人物−−「アスベル」と「アシタカ」−−に焦点を当てた物語の構造分析的手法によって、宮崎の思想に迫ります。 別紙

2005,08,31 メット・リサーチ ライダーはフルフェースしかダメ! なのか?

これは長いのでリンクにしておきます。参照あれ。

2005,05,22 『山岡鉄舟の武士道』勝部真長編、角川ソフィア文庫(書評)

この本は古本屋でなんと言うことなしに拾ってきたものだが、鉄舟と勝海舟それぞれによる、人物評が意外と面白かった。この本は鉄舟の武士道を紹介したものだが、私には鉄舟よりもむしろ海舟の鉄舟評がよかった。彼らの思想を、ひとつの「倫理」として捉え、簡単に考察してみよう。

鉄舟の武士道は、彼の禅仏教と儒学、そして神道の結合したような形だ。われわれには恩というものがある。つまり、父母の恩、衆生の恩、国王の恩、三宝の恩の四恩。もし矮小化を恐れずに現代的に敷衍するなら、自分を直接生み育ててくれた人々への恩、自分と間接的に因果関係で結ばれていると言える社会(人間以外の生き物たちも含む)のすべての構成員たちの恩、社会一般に関わる存在(王がその体現と見なされていたと思われる、社会全体を正当化するもの、社会全体の形式的枠組み、精神的支柱や象徴、つまり、個々の構成員でなくそれら全体に関わる一般性)の恩、そして、当時仏教が体現していた、単なる知識あ技術とは区別された倫理や人間性のための知恵の恩、である。人は、これらの恩のおかげであるのだから、私利私欲や自らの生命に執着せず、無我の精神で、これらの恩に謙虚に感謝して報いるよう努めなければならない。だいたいこのようなものであると思われる。

鉄舟の武士道は、そもそも剣と禅によって培われ、またそれを通して初めて、その言わんとするところが実感として理解できるものなのかもしれない。上のように言葉にしてしまうと、確かに海舟の批判する福沢の傲慢さと根拠のない楽天さから出る自由主義、個人主義、民主主義よりは好感をもつが、まあそんなものだろうというぐらいしか私には伝わってこなかった。その点は海舟も同様であるが、海舟は原則論や理想論だけでなく、人間の心の機微や組織や集団の性質まで見通し、秀逸な事例で言いたいことを示すので、より生き生きと伝わってくる気がした。

彼らが大切にしているのは、まず(A)倫理の基本として「心」を置くことである。そして(2)この心が、「恩」をしっかりと深く受け止め、その受け止めたものを、私利私欲や怠惰やその他の妨げに打ち消されたり曲げられたりすることなく、行いとしてまっすぐ出すことのできるものであることである。これは、神道の祖先崇拝や清浄潔斎の思想、禅の無我と自由闊達さ、陽明学の知行合一の精神を、適当に統合したもののように思われる。それらは水が器に合わせて形を変えるようなもので、本来同一である、というのが鉄舟らの理解である。面白いのは、倫理の評価対象が行為の形式や行為の結果ではなく、また行為の意図でさえなく、単に行為の発した源としての無形の「心」ないし「人物」であること、そして評価基準が「規則」や「効用」といった形あるものでなく、(2)に提示したような「態度」に置かれていることである。だからこそ、維新の志士たちについて、誰が善で誰が悪であるとかは規則的には振り分けられないのである。

ここで、「心」と言うのは、無形のもので言語化されないものである。言語化された行為や意図は、その奥の心によって善とも悪とも評価され得るのであろう。このあたりの、形式化と結果主義とを避ける思考は、古代ギリシャの「徳倫理」に通じるものを感じる。臨機応変に発現するべき「徳」を身に付けるための「教育」を重視する点も似ている。他方、彼らに特徴的なのは、「恩」を重視し、安易に西洋発の天賦人権説を受け入れているにわか西洋追随者らを批判するところである。

これらの思考は、西洋近代文明に接した日本人の根本的な疑問であると言えるだろう。この疑問は、いまや正統の現代文化である民主主義、資本主義、技術文明、etcなどについて、根本的な前提から疑わせるものであり、筆者の常識を揺らがすものであった。

2005,05,22 『クリプキ ことばは意味をもてるか』飯田隆、NHK出版(書評)

「哲学のエッセンス」シリーズ。『ウィトゲンシュタインのパラドクス』でクリプキの提示した規則に従うことについてのパラドクスに焦点を当てて、読者ともに丁寧に問題を追いかけるスタイル。あとがきにあるように、「だれが何を言ったのかといった類のことなしに、問題そのものから始めるというやり方」ですすめられる。誰が何を言ったかだけでなく、問題そのものをめぐる謎や他の考え方など、枝葉の議論もばっさり切り落とされ(これは、いつも膨大な注をつけてくれる飯田先生にはむしろ苦痛?であったそうだ)、『言語哲学大全』以上にシンプルに議論が構成されている。したがって、予備知識もなくとも議論の骨格だけをまっすぐに追いかけることができる。このいみでこの本は、哲学の問題は、興味さえあれば本質的には、簡単な言葉さえ分かれば、誰にでもいつでもできるものなのだということを示していると言えるだろう。

関心させられたのは、専門用語を使わずに議論を構成する飯田先生の手腕である。専門用語を使ってしまうことでさまざまなめんどうな誤解の可能性やそれに対する解説などをショートカットできると(自分も含めて)研究者は思い込みがちであるが、実は専門用語は便利であると同時に考えることをショートカットさせるものである。労をいとわず、専門用語でごまかさず、こつこつと議論を積み上げていく著者の思考スタイルを追いかける経験は、ひょっとすると取り扱われている問題を理解すること以上に読者(哲学の初心者であれ、ベテランであれ)には有用であろう。

2005,04,22 「分析」することと生きられた「哲学」

昨日の考察に続けて、「分析」について考える。

分析するといことは、分析するという行為とは別に分析される対象があるということを前提としている。またモデルをつくるとは、分析の一つの方法であり、そのモデルとは独立にモデル化される対象が存在していることを前提としている。このことによって、分析ないしモデルは、その課題を一定の精度で達成することができる。

ここで、いわゆる「内部観測」の問題がすぐに思いつかれるだろう。自分自身の生やその自分が生きてモデルを作成している世界自身について、モデルを作ることは影響を及ぼさないのか? あるいは、言語や社会などについて、モデルを作ることは、社会や言語をじっさいに作ることとは独立だろうか。

もちろん、完全に独立ではない。従って、近似的なモデルを作成することができるだけである。「近似的なモデル」「近似的な分析」まあ、納得できないでもない。だが、もしそれが自分自身についてのことであれば、何か無責任ではないだろうか。対象である自分自身は、そのモデルをより近似的にも的外れにもすることができたとするなら、それを「近似的」と主張するのは、「なになに、水が飲みたいだって? 水筒に水が何cc残っているかって? うーん、ごくごく、100ccぐらいかなー、いや、ごくごく、どうやら残ってなかったみたいだ」、こんなことを言う小憎らしい子供みたいではないか。

われわれは、むしろ哲学をすることで積極的に自分自身変化し、言語や社会を変化させ、生の形を変化させているのではないだろうか。そして、その変化に責任があるのではないか。「言語はこうして意味を持っている」「言語はこうして使われている」このような本質主義には、どこか、上の小憎らしい子供の影がある。「君が、言語をそのように使いたいだけでしょ」と言いたくなる。「君が、それを知識として受け入れる基準にしたいだけでしょ」とか「君が、そのようなケースを行為としてカウントしたいだけでしょ」とか。

では、哲学にはアナーキズムしかないのか? ・・・。

ちと角度を変えて比喩から出直してみよう。画家が、鏡に映った自分の絵を描いているとしよう。彼は自分の絵に新しく線を引くごとに、鏡のなかの絵もまた線が引かれるのである。いいじゃないか、彼の絵はいつだって対象のモデルになっている。そう言えるだろうか。確かに、鏡に映じた絵と現実の絵は一致している。では、この絵はいつ完成するのか、また、どの程度の制度で現実に似ているのだろうか。また、彼は、いくらでも線を引き、対象と絵を更新しつづけることができる。これは、もはや、「分析」とか「モデル」の作成とか言うべきものではない。「製作」でありながら「設計」である。

グッドマンは『世界製作の方法』(だっけ、Ways of worldmaking)の冒頭で、「われわれは記号を使用して無数の世界を製作する」と書く。そして、彼の哲学は現代の相対主義ないしアナーキズムのひとつの典型とされたりする。

・・・。

哲学は言葉を紡いで、ある世界像や自画像(あるいはその断片)を提示しようとしてきた。「分析哲学」であっても、そのような営みのひとつのバージョンとして位置づけ可能であろう。それは、もし分析や哲学することから独立のゆるぎない対象から出発しているのではないとすると、夢の中から紡ぎ出される「夜の言葉」としてのファンタジーにも似ている気がする。「ファンタジー」と言うと、やはり虚構にすぎないとか、結局「おもちゃ」でしかないとか、一般には思われがちだろう。では、ブリューゲルやレンブラント、セザンヌらの絵画はどうだろう。こちらはなぜか西洋近代のリアリズムの中で理解され、世界や自分の深層を表現しているとされたりする。だが、両者にいかほどの違いがあるのだろうか? そして、哲学に。

外からの分析ではないとしたら、夢やファンタジーと同じく哲学はその中を生きるものである。そして、リアリズム的な自画像もまた、何かに「似ている」ことによって価値がはかられるのではなく、書道の作品に似て、それを書いた画家が書くという行為の中を生きたことが評価されるべきだろうし、われわれはそれをたどることで始めてそれを意味あるものにすることができる。例えば、ライブ・ペインティングであり、朗読であり、哲学することである。

2005,04,21 分析哲学の新しい流れ

「分析哲学」なんて一つのまとまった哲学などもう存在しない。何年か前にある先生にそう言われて驚いたことがある。

当時の私は、現代の哲学的思考を、フレーゲ以前の伝統的な哲学(そしてそれを継ぐ「大陸系」の哲学)と、フレーゲ以降に意識的に確立されてきた分析哲学とに二分して理解していた。そして、「観念」のようなあやふやなものをベースに比喩的な思考を繰り広げる伝統的哲学に対して、記号というより明確なレベルで思考に形を与えようとするより進んだ分析哲学というイメージを持っていた。おそらく、日本の学会が分析哲学者とそれ以外の哲学者たちにきっぱり別れがちで、また古手の分析哲学者たちは、上述のような思いで分析哲学の紹介本や教科書を書きつづけてきたことがその原因だろう。フレーゲに始まる記号を手がかりとした思考は、(日本でも、おそらくは海外においても、多かれ少なかれ)「あんなのは深遠な哲学のはずはない」というマジョリティーの中で、「自分たちこそ新しいよりすぐれた哲学のスタイルなのだ」という思いをばねにして発展してきたのである。

今でも、その路線で論理モデルづくりにいそしんでいる研究者は若手にも多い。それはそれで、確かに一つの成果だし、もし「行為」あ「意味」や「知識」について、よりシンプルで整合的な論理化されたモデルが提案できれば、面白いだろう。一昔前のアメリカの分析哲学の最盛期に生み出された数々のモデルは、確かに分析哲学にはじめて触れた私を魅了した。「神」などの大掛かりでしかもいまひとつはっきりしないにもかかわらずなんだか厳粛な影を持った哲学的概念を使わずに、記号でシンプルで明快にアイデアを示すスタイルは、思考の誠実さであると共に、それについてアイデアを共有して意見交換がしやすいという実際的なメリットもあった。

だが、論理学の発達と整備を武器に、哲学的アイデアに対して数々の論理学的ないし記号的モデルを提出してきた分析哲学は曲がり角にあるように感じる。アメリカにおけるその潮流を代表する立場の有力なひとつは、ウィトゲンシュタイン『哲学探究』の議論をルーツに勢力を伸ばしている内在主義者らの立場である。彼らはウィトゲンシュタインに従って、言語や世界、自分自身の「外」からの視点を拒否し、それに伴って「外」の視点から提案された数々の分析哲学的モデル・理論を拒否する。そして、理論やモデルを提示するのではなく、ウィトゲンシュタインが哲学の「治療」的なありかたを勧めたように、なにか別の活動としての哲学を求めているように思える。パトナムやカベル、マクダウェル、ダイアモンド、コナントらが、ウィトゲンシュタイン研究の立場からはその潮流を代表する哲学者として目に入ってくるが、ほかにも注目すべき哲学者らがたくさんいるのかもしれない。

おそらく、この動向は、分析哲学の歴史にとって、例えば科学主義的な「論理実証主義」に対して「日常言語学派」が出現したのとは比較にならないぐらい、大きな変動をきたすであろう。日本でも、何人かの広くて深い視野を持った中堅研究者らはこのような潮流にひそかに注意しトレースしているが、これについて正面から扱った研究は我が国では皆無といってよい。大半の古手の研究者、あるいはごりごりの「分析哲学者」にとっては、このような潮流は、彼らの評価する記号モデルではないゆえに、取るに足らないおしゃべりでしかない。だが、若手の間では、ちらほらと、このような新しい動向を真剣に注視している者、その潮流の中にすでに自ら飛び込んでいる者がいるらしい。

20世紀の分析哲学は大きな成果を挙げてきた。だが、主要な領域における主要なモデルは、哲学研究史上かつてないほどの数の専門的な「哲学研究者」たちによって、すでに出尽くしたのではないだろうか。たくさんの「XX主義」「XX論」が形式化されて、提示され、相互に差異化され、洗練されてきた。もはや、それらのモデルをより精密にしたり、それらの余白を埋めたりするような、スコラスティックな仕事しか残されていないような気もする。あるいは、コンピュータや社会システムに実装でき、有効に利用できるように、モデルを工夫したり(多くの場合には妥協し、よりつまらないものにして)、書式を工夫する仕事に集中するか。どちらも、それなりに面白いが、哲学としての面白さはもうない。「分析哲学」というお祭りは多分もうおしまいである。伝統的立場や論理モデルを構築する「分析哲学」から見て、時に「ポストモダン」とも言われる内在主義的観点から見れば、おそらく、20世紀の分析哲学は、世界や自分自身についての「モデル」=「おもちゃ」をたくさんつくって喜んできたに過ぎない。もし世界や自分について外在的な視点に立つことができないとしたら、哲学者の提示してきた「モデル」は、現実の自分の生きる世界そのものあるいは自分自身についての知とはもはや言えないだろう、というのが「おもちゃ」という言葉に込められたニュアンスである。

かといって、分析哲学の洗礼を受けたわれわれが、もとの「素朴な伝統的哲学」にそのまま戻れるわけもない。ではどうするか。まだよく分からないが、もし現代において私が哲学を続けるなら、まずはパトナムやダイアモンドらが切り開きつつある道をたどって「お祭り」を抜け出し、そしてさらに彼らを踏み越えて進むしかないのではないか。

2005,04,15   『カント−−世界の限界を経験することは可能か』熊野純彦、NHK出版(書評)

昨日の『デイヴィドソン』と同じく「哲学のエッセンス」シリーズ。『純粋理性批判』を中心にカントの思考を「経験の限界をめぐる考察」とした点で、私にも関心の持てるものであった。熊野の論述の格子は以下のようなものである。経験の限界は、理論理性にとっては、経験の内部では認識不可能なものであるゆえ、理性がそれを追い求めるとしても(そして実際理性の遡行的本性からしてそれを追い求めようとするはずである)決してたどり着くことのない経験不可能な「深淵」であり、あるいはまたそこで理性が立ちすくんで驚異にうたれる存在としての「理念」である。この、把握可能と把握不可能のあいだの微妙さは、『判断力批判』で提示される、偉大なものに対して近づきすぎず遠ざかりすぎない適切な距離によって生じる「崇高」の感情の微妙さである。

カントに詳しくない私には「なるほど。そう言われるならそうなのだろうな」という感じであるが、私の知る範囲ではだいたいオーソドックスな解釈のように思えた。ただ、カントがそう考えたのは確からしいとして、なぜそう考えたのかは本書の解説からでは実はよく分からなかった。それはおそらく原書に当たってみるしかあるまい。熊野自身も直接/間接的に意識しつつ書いたのかもしれないが、本書の描き出すカントはウィトゲンシュタインと、その関心と最終的な立場において非常によく重なる。ただ、ウィトゲンシュタインには『判断力批判』も『実践理性批判』もないわけで、このニ著を上述の『純粋理性批判』的関心に則して配置する熊野のやり方には興味を引かれた。

ただ、熊野の論述スタイルには、個人的には不可解でトレースが困難な点があった。例えば第1アンチノミーの解説に関して、もしカントが世界の始まりに対して遡行的にアプローチする(p.14)なら、世界が時間的に無限であるなら世界のはじまりがなければならない(pp.25-26)という議論は成り立たないのではないか、と感じた。今はまずある、そしてそこから世界は無限の過去と未来に広がっている、これでなぜいけないのか。他にも、大きいものが「崇高」である(p.94、ほか)とか、「美」は形式にやどり(p.103)かつ普遍的に妥当であらねばならない(p.91)、などは熊野(と、カント?)には十分明快なのかもしれないが、私にはさっぱりそうは思われなかった。仮にそれが言葉の定義であったとしても、「何が(あるいは、どのような感情が)」そう定義されているのか、さっぱりわからなかった。日本語でならむしろ「偉大」がここでの「崇高」に近い気がするが、やはり「数学的偉大さ」とか「力学的偉大さ」というのはどうもぴったりこない気がした。このような論理的・語彙的な疎外感が強く残ったほか、文体的にもひらがなの不可解な多用が読んでいて苦しかった。これらは趣味と慣れの問題かもしれないが、カントの理性批判の精神からみるなら、そう片づけられてしまう問題でもないように感じる。どうだろう。

ともあれ、カントの著作(の、そこここ)に当たってみようと思わせてくれたという点では、本書は私に十分な効果を発揮したと言えるだろう。

2005,04,14   『デイヴィドソン−−「言語」なんて存在するのだろうか』森本浩一、NHK出版(書評)

「哲学のエッセンス」シリーズで、「それぞれの哲学者について専門からすこし外れた立場の執筆者が、自分の問題関心に則して書く」という企画である(p.122)。この企画に沿って言語論に焦点が絞られ、言語を介した<二人(以上)>のコミュニケーションが当事者を超越した視点なしに成立可能である仕方を提示しようとした議論として、デイヴィドソンの言語の哲学が整理される。具体的には、意味や規範そして「言語」などを実体化することに反対し、生活に関する一般的な知識や「寛容の原則」などのいくつかの基本原則、そしてそれを適用するスキルを持った言語使用者による個々の解釈の実践のみによって、言語的コミュニケーションの可能性を保障する議論として整理されるのである。本書はこの意味で一貫しており、個々の議論はさておき、全体として非常に読みやすく、また面白いものであった。

デイヴィドソンの議論は、それを批判するにせよ発展させるにせよ、現代の分析哲学の多くの議論のベースになるものであり、研究者が押さえておかねばお話にならない重要なものである。しかし、私自身、彼の個々の議論をトレースすることはあっても、デイヴィドソンという一人の哲学者として、彼がどんな方向を目指しているのかを気にすることはあまりなかった。その意味で、本書において、オッカム的な唯名論者であり、かつ言語外の視点を言語使用の現場から排除しようとした哲学者というデイヴィドソン像は、パトナムやウィトゲンシュタインとの比較において興味深いと思われる。というのは、デイヴィドソンの理論は、パトナムを通した後期ウィトゲンシュタインの内在主義的な言語論の典型的なバージョンともみなしうるからである。ただ、パトナムやウィトゲンシュタインから見るなら、解釈する言語使用者個人(言語)をベースにコミュニケーションを支えるという点は、個人のプライベートな領域に過度の負担を強いているようにも見えるかもしれない。

3月27日に論じたように、私自身は言語外の視点が存在しないなら言語は存在しない、言語は言語の外側を認めることで健全でありうる、という考えを持っている。であるから、言語外の視点を排除しようとするデイヴィドソンの議論にはどこか無理があるに違いないと思われる。それは例えば、解釈の現場で、「われわれが(解釈に要請される程度には)似たような生活者であること」が想定されているが、われわれが似たような生活者であることは偶然のことであり単に想定されたり要請されたりするようなものではなく、我々の生、これは我々の社会が生物学的本性、風土などを考慮しつつ意識して満たしているのであり、またそうしなければならない条件なのかも知れない。そして、このようなバックグラウンドなしにはデイヴィドソンの想定する解釈の現場自体も不可能なものであるのかもしれない。とすると、解釈の現場がコミュニケーションの唯一の源泉であり、また説明の発端であるとするデイヴィドソンの議論は、不十分である可能性が出てくるし、また、その主張する正当性は失われるだろう。同様な疑問は、解釈者と発話者にまず要求される合理性も言語を通じて与えられるものであるとすると、言語に先立って合理的解釈者を想定し、それに先立つ超越的な合理性などを想定しないと宣伝するデイヴィドソンの議論には、ごまかしがあることになろう。

以上の論点は、デイヴィドソン自身の議論やその他のさまざまな理論、またわれわれ自身の言語理解について詳細に検討していく必要があろう。また、デイヴィドソンの議論は言語の哲学を超えて、哲学のより広い領域に広がっている(が、その全体像はとても捉えやすいものとは言いがたい)。このデイヴィドソン哲学の全貌を明らかにする仕事もまた、ひとつの特色ある現代的な哲学体系を明らかにするという意味で、魅力的なものに思える。

2005,03,29 人間関係について エッセー

PROFILEを書きつつ、自分の目指している人間関係についてなどを考察した

【プライベートな人間関係】気の会う友人とは歩いたり、話したり、食べたり、飲んだり、何をしていても楽しい。相手の性別、お互いの接点、関心、などなどによっていろいろ関係の作り方や付き合い方は異なるけど、本質的なところは同じだと思う。そういう時間を失いたくはないものだ。歳をとっていくにつれて、なかなか友人にめぐり合えなくなるし、いざ出合っても、そういう友人になるまでに時間がかかるようになり、そうこうしているうちに仕事に追われていたりどちらかの生活が変化したりして自然に遠のいてしまったりする。一方、自分独りの時間は、昔はコントロールが難かしいときもしばしばあったが、うまくいけば充実して過ごすことができる。最近は、この街での一人暮らしも長くなり、生活が根を張って来ているのか、いろんな意味で自分の趣味や必要を満たす方法が確保できて、快適になりつつある。最初にこの街にきたときは本当に独りで、我ながら悲壮な感じで、それはそれで実はけっこうよかったのだが。最近では比較的独りの時間が長くなり、コントロールされたその時間には、それなりに満足している。

【オフィシャルの人間関係】最近、そして遅ればせながらたぶんこれからより比重の増すだろう人間関係に、仕事上の付き合い、研究関係の付き合いがある。そういうとき、自分に自信がないと妙に緊張したり、負担だったりもよくあるのだが、それも含めて自分に気づくという意味では楽しいことでもある。いつも、どんな人とでも、気持ちよく仕事できる人間になりたい。友人同士のつながりではきっと会うことのなかった人、苦手だとかつまらないと思って避けてしまっただろう人とも、出会い、一緒にやっていかねばならなかったり、そのうち意外なところで共感できたり、やっぱりつまづいたり、というのはなかなか面白くて、悪くないものである。ヒッチハイクでは徒手空拳での一期一会の出会いと別れの醍醐味があったが、こちらはお互い役割があり、立場があり、切っても切れない(こともなかったりして)、持久戦的な人間関係だ。でも、基本は同じで、相手の重心とこちらの重心がぴたりと合うと気持ちいいし、ずれていると落ち着かない。「接点」と言う。「目線」とも言う。「分」という人もあろう。しかし私は「重心」をキーワードとしてみよう。「分」は基本であり大事だと思うが、それだけではつまらない。仕事や研究でいろいろな人と関係を持てるのはよいチャンスだ。いまさら虚勢のプライドも張れなくなくなってきたみたいだし、いつのまにかその必要もなくなってきたみたいだし、なんだかいつものメンバーでまったりしたり、意外な人から意外な話を聞けたりする機会をもっと大切にしたいものだ。

2005,03,28  「哲学に答えは一つなのか」 アカデミズムと哲学 

以下では、これに関連して「哲学に答えは一つなのか」という問いの周辺をぐるりと考えてみよう。よくあるテーマであるが、アカデミズムの問題は哲学という学問内部の問題でもあるように思う。

私は最後に「提案」という言葉を使った。私は、「言語外的視点」を認めないダイアモンドらの議論を退けた。伝統的な解釈とは、この生の形の「提案」という面で道を分ける。伝統的な解釈者らは、形而上学的実在論者であれ、カント的な超越論的議論として解釈するものであれ、独我論者であれ、『論考』の議論は、なんらかの客観的な「真理」に関わっており、ウィトゲンシュタインは言語の本質的な性質を「発見」したと見なしている。だが、私はそうは思わない。私が思うに、ウィトゲンシュタインがその序で「決定的な真理」と自分の仕事を呼ぶのは、それは自分にとって、そして『論考』的な議論を「はしご」として必要とする者にとって、決定的な意味をもつ思考の道筋なのだ言っているだけなのである。道はたくさんありうる。だが、どんな道であっても、ラクであっても、曲がりくねっていても、遠回りしようとも、目的地に(一定の条件内で)たどり着くなら「正しい道」なのである。そしてウィトゲンシュタイン自身がその道をたどってたどり着いたということは、その正しさにとって「決定的」なのである。

私は、他の解釈を取り上げてその困難を指摘しようとは思わない(先の博士論文ではある程度やったが)。ただ、自分が自然に正しいと思う受け取り方が可能であることを主張したいだけである。私の解釈が唯一の可能なものであるかどうかは別にどうでもよく、ただ、私のウィトゲンシュタインへの道が正しければそれでよく、もし本気で賛同し協力して進んでくれる人がいればそれは+αとして喜びたいのである。そういう私が見るウィトゲンシュタイン自身も、同じように自分だけが正しいことを求めているのではなく、ともかく自分が正しい道の上にいることを切実に求めているだけであり、人を強制的に自分の道に引っ張ってくる必要もなく、『論考』という(少々不親切な)手がかりをたどって、彼の道を利用してくれる人がいれば、それは喜びなのである。学界では、なぜ自分と人の立場が異なることを主張し、しかも相手の立場が(できれば)成り立たず、自分の立場がよりすぐれていることを競わねばならないのか。学問は、すくなくとも哲学は、本質的には商品ではなく、商品の超越論的前提である人生そのものであるはずなのに。

多かれ少なかれ、プロタゴラスの昔から、西洋には哲学の職業教師がおり、哲学は商品化されていた。あるいは日本や中国でも同様であったかもしれない。誰かが学び、考える。それを教わりたい、そして自分の生の形をリフォームしたい、そう思って人はお金や便宜を差し出して、哲学(者)を買うのである。そこには競争原理があって、哲学のプロは、ライバルを退ける必要がある。現代もまたそうである。大学人の仕事は研究と教育である。哲学者は研究では学会に売りに出され、教育では学生が彼を買うのである。競争になる。このシステム自体を、ばっさり否定するつもりはない。哲学を支えて存続させるいみでは、なかなかよくできたシステムなのかもしれない。だが、このシステムが別に哲学にとって本質的なものではないこと、それなのに、今の哲学がそこから本質的な制約やゆがみを得てしまっているならそれは望ましくないこと、この点だけを押さえておきたい。ウィトゲンシュタインはこういうと怒るかもしれないが、職業哲学者ではなかった。彼は哲学をやめても食い詰めなかったであろう。小説家やジャーナリストと同様、ペンで飯を喰う職業哲学者、哲学研究者は、システムの中でしか、思考もできないのだろうか? しかし、それは本質的に哲学であることと矛盾するように思える。とするなら、哲学で飯を食っている哲学者は存在しないことになろう。・・・おそらく、こうした矛盾を内包した大きな構造の中で、いろいろやりくりして、ある程度の水準をそれぞれに確保しつつ生きるのが、現実的な職業哲学者の道である。パトナムのように嬉々としてこの道を飛びはねて行く人もいれば、何人かの無名の友人たちのように、この道を外れてシステムの外で自由に、体制と仲間達の助けも場所もなく、「哲学者」であり続けようとした者たちもいる。

大学人の父を持つ私自身は、幼少のころよりこうした大学文化のなかで生きてきたようなものであり、このシステムは空気のようになじみやすいものではあった。また、このシステムに対する恩義もあり、一定の尊敬心も感じている。だが、確かに疑問と違和感も持ちつづけているし、最近はその違和感がどのあたりにあるのか、自分の体験を通して感じることも多くなってきた。単に、外から見て、アメリカに負けてるんじゃない? 効率悪いんじゃない? サボってるんじゃない? とか言うお役人たちとは違って、学問内部の問題として、自分自身の問題として、このシステムに疑問を感じている。このシステムの中にいる限り、システムの制約は気になりつづけ、疑問は消えることはないだろう。思想は売り物ではない。そう思っている人でなければ、真の哲学は生み出せないし、理解もできないだろう、このことだけは言える。パトナムへの引っかかりからこんなところまで話がずれ込むとは思わなかったが、今日はこれでおしまい。

2005,03,27 科学哲学コロキアム発表

発表は、久しぶりで緊張した。言いたかったことがどれくらいちゃんと言えたのか、そして伝わったのか、はなはだ心許ない。そういうときにはおそらく、あまりうまく伝えられなかったのであろう。哲学の議論を理解してもらうには、その議論の前提や基本的な知識、そしてなによりも強い関心を共有してもらう必要がある。なぜなら、哲学の議論は、他の議論とは異なりそのような意識を強く保たねば、本当に「なんでもないもの」になってしまうからである。聞き手は、先生や若手の研究者だったので、必要な知識は十分だったと思うが、うまく話の前提やこちらの関心のありかを伝えられなかった気がした。発表は1時間半ぐらい僕がぶっとおしでしゃべってから、1時間ぐらいの質疑応答という形式で、正直言って、発表するのも聞くのもちょっと疲れたようだ。途中で自分から話を切って、質問や意見を受けながら、ゆったりと共に進められればよかったのだが、会に出るのも久しぶりでなんだか余裕もないまま、どんどん進んでしまった。次の機会にはもうちと工夫してみたい。

発表はだいたい3部構成で、最初に@「言語外在的視点external standpoint on language」が現在の英米哲学でどう関心を集めているかに関して、パトナムPutnam[1981]の議論を紹介した。その問題について、ひとつの解答をウィトゲンシュタイン『論考』から、その内在主義的解釈に注意しつつ、構成するというのが発表の目的であった。そこでA、『論考』の「私」をめぐって、これがどのような「視点」であり、またその「私」を把握するような「視点」はどのような性格か、について、可能な解釈を整理した。ここでは、ウィトゲンシュタインが「私」や「全体としての世界」を把握しうるような「言語外的視点」を認めている可能性を、ウィトゲンシュタインの哲学をめぐる議論、言語理解をめぐる議論に注目して、明らかにした。ついで、BダイアモンドDiamond[1984]らが『論考』に読み取る「(記号言語への対象言語)置き換え戦略」というアイデアを検討した。ダイアモンドによれば、『論考』はまず自分自身「言語外の視点」に立ち、そこから「言語内在的な視点」にとどまりつつ哲学を遂行し言語の混乱に陥った伝統的哲学者らを「治療」しうるような哲学の方法、すなわち「置き換え戦略」を提案する。その後、自分自身を「言語外的視点」と共に「投げ棄て」、その結果、「言語内在的な視点」だけが、健全な言語使用者と「治療」を引き受ける分析哲学者に残されるというのである。

私の結論を簡単に述べる。『論考』は確かに「置き換え戦略」という哲学プログラムを提唱している。ただ、だからといってメタ言語を用いる哲学者のように(対象)言語外の視点に立たずにそのプログラムが遂行できるかというと、それは不可能である。対象言語の外に出て、対象言語のそれぞれの記号がどのようの本性を与えられているのかを明確に意識することなしには、その言語の記号言語への翻訳は不可能であるから。そしてさらに、分析に携わる哲学者だけでなく一般の言語使用者も暗黙的にであれ、「語りえない」言語の前提となる了解を持っていなければ、その言語を適切には使えないであろう。このような議論が『論考』から構成可能である以上、『論考』は明らかに言語外的視点を認めていると考えるべきである。もちろん、言語外的視点から何かを語ることはできないが、それはあるし、それを暗黙的な了解のままにしておく一般的言語使用者に対して、哲学者は意識的にその了解を把握し、場合によってはその了解のもとで別の表現システム(例えば記号論理学とか)を工夫したり、さらに場合によってはその了解そのものの基本性格を問い直すことができる。ひょっとすると別の了解の仕方を提案することもできるかもしれない。『論考』が倫理的ないし実践的な目的をもってやろうとしているのは、まさにこのようなこと、すなわち生の形の提案なのであろう。

以上が発表報告である。

2005,03,26 科学哲学コロキアム発表題目 

明日27日京大会館で発表。題目と概要だけアップしておく。

題目:前期ウィトゲンシュタインと言語外的視点の可能性

報告要旨:言語外的な視点の不可能性は、形而上学的実在論を神の視点からの議論として攻撃するパトナムらの内的実在論を支える重要な議論である。また、言語で言語を研究する言語の哲学にとって、この問題は無視することのできない方法論上の論点であると言える。

従来、前期ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考(『論考』)』の意味論的な議論は、形而上学的実在論の典型と解されてきた。これに対して近年、それをむしろ言語外的な視点への誘惑を断ち切ろうとした(と、しばしば解される)『哲学探求』に近い立場であるとする有力な「新しい」解釈が現れ、論議を呼んでいる。

本発表では、『論考』に関するこの見解を検討しつつ、言語外的視点の可能性という問題に対する前期ウィトゲンシュタインの議論を再構成する。論点として特に、言語理解の主体としての「私」をめぐるウィトゲンシュタインの議論と、哲学的概念の変項への置き換えというフレーゲから引き継いだとされる戦略を取り上げたい。

筆者の考えでは、『論考』のウィトゲンシュタインは、言語外的な視点を言語内的な視点から厳密に区別しようとしており、このいみでは言語外的な視点をナイーブに取ろうとする形而上学的実在論の立場とは区別される。だが、「新しい」解釈がそう主張するように、そのような言語外的視点自体を否定はしておらず、微妙なスタンスで言語外の視点を残そうとしているように思われる。本発表では、そのような『論考』の議論を、一つの可能な立場として描き出したい。

2005,03,23 パトナムの「解釈についての標準的見解」批判 (『実在論と理性』第2章 書評)

議論 前節の議論によって、思念的世界だけによって指示を確定することはできない。としたら、どのようにして指示は確定されうるのだろうか。

パトナムによれば、理論的制約とおだやかな手続き的制約によって指示が決定されるという「標準的見解」は誤りである。おだやかな操作的制約とは、ある文「この針金に電流が流れている」が真であるのはそれを蓋然的にであれテストする観察が得られるときであるという見解であり、さらにパトナムは、ここに、テストされるのは個別の文ではなく理論全体であるというクワインの主張を取り入れて理論を積極的に拡張する。また、理論的制約とは、理論の単純さや歴史性(改定を最小限にとどめるか否か)などの理論構成と理論のメンテナンスを導く諸条件である。これらによって、望ましい一定の文集合が真となるようにその言語の指示が確定されるというのが標準的見解である。

この標準的見解がうまくいかない理由は、結局、クワインによって指摘された(パトナムによって様相的文脈も含めて拡張されたバージョンでの)指示の不確定性が成り立つからである。すなわち、ある言語の文全体の真偽を変えずに異なるいくつかの解釈が成り立ちうるのである以上、文全体の真理値の割り振りによって、その言語の指示を確定しようとする理論はすべて誤りなのである。この場合、異なる諸解釈は述語や関係にも及ぶものであり、さらに相互に対等であるから、その中で本来的な解釈を選び出すことは現実世界においてもできない。また、仮に進化において一定の信念の真理値が強制されるとしても、このことはその信念(を構成する項=名)の指示を決定しはしない。

2005,03,28 第2章へのコメントと第3章、そして内的実在論への感想(『実在論と理性』 書評3)

 最初にこの議論を読んだときには、おや? パトナムはここで何を言いたいのかな? と疑問に思った。パトナムがここで言っていることは、われわれの言語への態度、例えばどのような文を信じるか、というような言語内在的な視点からだけでは、指示は確定できないという議論である。そこで、やっぱり<神の視点>が必要になるんじゃないのかな、と私は感じたのである。(この辺から第3章の解説)。ところが、ここでは議論には表立って出てこないのだが、パトナムの結論はこうだ。「だから、われわれの言語の指示は確定などしてはいないのだ。だからこの点では相対主義者であるクワインやグッドマンが正しいのである」。この切り返しの呼吸は実にパトナムらしく、私は個人的に好きである。

私は院生時代に若気の至りでハーバードにもぐりこんで、そこの院生の案内で、パトナムの部屋を訪れたことがある。彼は一見如才のない軽やかな紳士風で、突然極東の田舎から彼の部屋に現れた風来坊をごく自然に受け入れて、何勉強してるの? などなどたわいない話を交わしながらも、何か広大な世界を感じさせ、それでいて同時にある種の方向性を感じさせるような、面白い空気をまとった人物であった。学界のチャンピョンでもありながら、一個の生の個人として一期一会の瞬間に名もないどこかの学生と対等に向かい合える、その間合いと包容力、そして気合がそのときのパトナムにはあった。それはすがすがしく気持ちのよいものであり、パトナムの議論に漂う広大さと自由さ、そして臨機応変の闊達さにつながるものである。ちなみに、当時の私がアメリカの大学をいくつか回って、パトナム級に強く印象的だった哲学者は、あとはバークレーのストラウドであった。彼は無口で野性的で、対面すると妙に圧迫感がありこちらを緊張させたが、その重々しく荒い存在感は不思議と心地よかった。

さて、パトナムは、ただし、と続ける。ただし、指示は確かに確定しないけど、それでいいのだ。「ブルー」と「グルー」が区別されるまでは、われわれはその違いに気づかないし、実際、それまでどちらかの使用法が間違っていたわけでも、両者の意味が「異なっていた」わけでもなかったのだ。トラブルが出ないうちはそれぞれ自分の使いたいようにその名を用い、もし生きていく上でトラブルが出たら、トラブルが問題ではなくなる程度に解釈をやり直しつつ生きていく。それがわれわれと言語の関係だ。だから、全くの相対主義ではなく、人間の生活の必要とする程度の合理性がその言語を導いている。これが、外在的な視点を拒否して内在主義をとりつつも、完全な相対主義には陥らない、とパトナムの自慢する内在的実在論internal realismである。

パトナムは議論の枠組み作りの天才で、形而上学的実在論と相対主義の間に自分の立場を位置づけるこのあたりの関係作りは天才的だと思う。だが、それほどたいしたことを言っているのだろうか? とも思ったりする。クワインだって、全くの相対主義を主張しているわけではない。クワインは最低限度の規範性は確保していると指摘する論者もいる。パトナムの言っていることは、クワイン、さらにはデイヴィドソンのアイデアと本質的にはどう違うのだろう、と思ったりする。明らかな違いは、パトナムがウィトゲンシュタインの哲学のもつ不思議な匂い、すなわち従来の「哲学」という概念・意義を揺るがしかねない危険なモチーフ、をパトナムがおそらく意識的に、ひょっとしたら戦略的に漂わせていることであろう。だが、実はパトナム自身の思考はそれほどラディカルでも不思議でもない。むしろ彼は、基本的には常識的で伝統的な考え方をする人間である。ただ、人並みはずれて器用で目端が利いて、流れが読めてかつクレバーなだけである。もちろん、一旗挙げようという功名心に加えて哲学的な情熱を強く持っており、これらの点で、研究者として超一流であり、おおいに尊敬に値する人物であることは異論がない。でも、それだけだ。彼は、ウィトゲンシュタインのような大物思想家でもなければ、真正の哲学者でもないのではないか。

私がそう思うのは、パトナムが見つけた、というか、誰かが血によって切り開いたその場所に便乗して大きな声で宣伝しているその場所は、たぶんパトナムが感じている以上に危険で神聖な場所なのでは、と感じるからだ。ウィトゲンシュタインが恐る恐る足を踏み入れたその場所は、パトナムのように能天気に「内在的実在論」とラベリングして悦にいっていられるほど安全で普通の場所じゃない、そう思う。いや、パトナムなら大丈夫なのかもしれない。その場所が危なくなれば、彼ならそこをさっさと離れて、別の場所にいとも身軽に移ってうまくやっていけるだろうから。でも、その場所に本当にコミットしてしまった者であれば、そうはいかないかもしれない。そこは、思想家、哲学者にとっては、祠でも作って目印にしておきたいぐらいの、パトナムが大げさに宣伝するように特別な場所であるだけでなく、私の感覚ではおそらく極めて危険で不可思議な場所なのである。もっと感覚を研ぎ澄まして、じっくり歩かなければならない。

もうしばらくパトナムと共に考えてみよう。

2005,03,23 パトナムの「培養槽の中の脳」について (『実在論と理性』第1章 書評)

議論紹介。培養槽の中の脳は自分自身が培養槽の中の脳であると考えることができない。というのは、彼の言語(概念)では、その実在する培養槽や脳を指示することができないからである。表象は、それがたまたま実在の似姿であったり記号に似ているからといって、蟻の奇跡がたまたま「チャーチル」と描いたからといってその蟻が「チャーチル」という言葉を理解していることにならないように、指示を持つことにはならない。語が指示を持つためには、その記号が「概念」として理解を伴って使われている必要があり、それはつまり、適切な状況でその記号を決められたように正しく使用(因果的な結びつきを含意する)できなければならない。ところが、培養槽の中の脳は、「脳」「培養槽」という記号を自分の意識の世界内では適切に用いることができるかもしれないが、その意識の外の世界である実在の培養槽やその中の脳を指示して適切に用いることはできないからである。単に、彼が統語論的には言葉をまったく正しく用いていたとしても、指示についてのテューリングテストに合格したコンピュータが正しく現実の世界について指示を行っているとは言えないように、実在する脳や培養槽を指示することができていることにはならないのである。従って、培養槽の中の脳は自分自身が培養槽の中の脳であると自分の言語で語ることも、概念的に考えることもできない。

コメント。この議論は「言語の使用者は自分のいる言語世界の中から外に出ることはできない」という主張を導き、内的実在論の重要な基礎をなす議論である。われわれはもちろん、培養槽の中の脳をイメージすることができる。このとき、パトナムに従えば、われわれはわれわれの世界における培養槽の脳を考えており、われわれの世界が入っている培養槽の中の脳(自分自身)について考えているわけではない。もちろん、親しい友人の脳が培養槽に入って、しかもあれこれ考えているらしいことを外から想像することはできる。だが、自分自身についてそれはできないはずだというのである。

だが、私は自分自身の身体を見ることも触ることもできるから、自分自身の脳を指示することができる(大森のように鏡を使って指示をしてもよいし、光ファイバーでもCTスキャンでも何でも使用できる)。また、自分自身の指示することのできている培養槽に自分の脳が入ることを想像できる。確かに、ずっと培養槽に入ってしまっていた脳にはそれを考えることはできないのかもしれない。だが、今まで外におり、ちょっと培養槽に入り、新しい刺激を与えられはじめた脳にとっては、いままでの外の記憶は残っており、その記憶における「培養槽」は自分の入っている培養槽をいみするのではないだろうか。その脳は、培養槽の中で培養槽について考えており、そのアイデアを培養槽から出されたときに実行してみる−−例えば培養槽を破壊する−−ことができるのではないだろうか。(と、考えていたら、パトナムも将来脳が培養槽を出たりしないという条件をつけていた。たぶん、学生にでも指摘されたのだろう。)

2005,03,22 沢木耕太郎論

沢木耕太郎を評価することは、私にとって自分自身の立場を自覚するため非常に有効であると思っている。その理由は、沢木耕太郎の視点には、かなりの地点まで共感できるにもかかわらず何か同意できない点があること、私が持ちたいと思う態度を感じると共に何らかの反発を感じるからである。

ここ数日で沢木耕太郎のエッセーを数冊読んだので、そこから簡単に沢木耕太郎論を記しておきたい。作品は、読んだ順に

  1. 『彼らの流儀』        1990年ごろの作品。何か心に残るような物語を短編小説風のルポで描いていく。結末では世のなか簡単には割り切れないなー風の読後感に導かれた。
  2. 『深夜特急3 インド・ネパール』        よく知られたバックパッカーの旅のルポ。宗教的なシーンや南アジア的な情景に触れて旅が深まっていくあたり。
  3. 『深夜特急4 シルクロード』        インドで体調を崩した続きで、なんとなく余裕のないまま西へ向かう。
  4. 『人の砂漠』        あまり光を当てられることのない人生、地方、出来事などをルポする。
  5. 『敗れざる者たち』        プロボクシングやプロ野球などスポーツの世界での栄光と敗退。
  6. 『檀』        作家檀一雄の妻の眼を通して描かれる夫婦の人生。

私の論じたいのは沢木が人々を描き出す「視点」である。沢木の視点に共通するのは、「人生」の評価である。有名無名のさまざまな人、あるいは人々の人生に対する共感、賞賛、ないし愛惜がこめられている。

私が気になったのは、その評価基準が基本的に勝利やプライドに求められていることである。例えば、初期の作品では、戦い続けるボクサー、権力に屈しない人々、への賞賛。あるいは、一度は反抗したものの結局負けてしまった者、あきらめてしまったものへの愛惜。最近の作品では、戦いにおいてふとそのいみがわからなくなる瞬間。

このような沢木の視点には確かに共感できる点がある。システムや権力、老いなどなどによるプライドの喪失に屈するのは確かに悲しいし、そうでない人々、反抗するエネルギーを保ち続ける人々を賞賛する気持ちは共感できるからだ。「勝者」と考えられる者にも戦いがあるべきだろうし、「敗者」といわれる者にも完全な敗北はないだろう。勝ったり負けたりして戦いをやめることより戦っていることを評価しつつ、ある程度距離を置いて理解し眼を向けていこうとする立場は誰にとっても嫌なものではなく、また苦しいときには大きな力になるものだろう。

だが、一方でこの視点のあり方には物足りなさを感じるのは確かだ。一つには、「ではどうすればよいのか」という真剣な問いかけを欠いていることだ。沢木は、戦っている人に共感するだけで、手を差し伸べるわけでも、どうすればよいのか共に考えるわけでもない。どこまでも、無責任な野次馬ないし旅人にとどまってきる、あるいは意地悪くみるならその戦いを売り物にする漁夫の立場に立っているのである。

また、もう一つは、彼の基準で対象となる人生を評価し切ることはできないはずだが、まるでそうではないかのような印象を与えることである。小説にもしばしば見られることであるが、著者が一人の人、一つの事件、生活などを取り上げるとき、それは一つの視点から記述し評価したものでしかない。これはそれ自体難しい問題であるが、沢木の場合、「あるシステムの中で戦い続けること」にやや視点が執着しすぎている気がする。人はそのように単一のゲームの中で生きているわけではない。また、これに関連して、「意識的にそのゲームを戦うこと」を評価しようとしすぎている気もする。

このような視点の偏りは、沢木の見出した戦いゲーム外のファクター、例えば主人公を取り囲む自然環境や街との交感、宗教的な出来事の内実、あるいはさまざまな人間関係などなどが、実は主人公の人生にとっては重要な役割を果たしていたにも関わらず、まったく無視されてしまったり、単なる「逃避」として扱われてしまうことになりがちである。沢木のルポは具体的には、まずデータの羅列があって、そこに自分の設定した常識からなんらかの「謎」「疑問」を見出し、それを調査や想像力で埋めていくというフォームを取る。ただ、この「謎」の解消が「戦い」の側、より一般的に言うならシステムの側からしか評価されないなら、結局沢木の視点は最初に設定したゲーム、システムを出ることがない。「謎」が残される場合にも、それが何であるかは追及されることがない。

このようなシステム内にとどまる態度は、沢木作品を読みやすくしている。視点が明確なシステム・ゲームの内にとどまり、一貫した記述・評価を維持できるからである。だが、私にはここがスポーツ漫画的な物足りなさを感じる点である。システムやゲームはそれほど明確なものではなく、目的も変容するし、それと相互作用しつつ周囲の人や環境のいみづけも変化し、自分の行為のいみづけも変容していく。その変容の中で、その人が結局、どのようなゲームを生み出し、どのように自分を意味づけしつつ、どのような方向をめざしたのかが私には重要で興味深いのである。沢木作品は読みやすさと共感の得られやすさと引き換えに、このような視点や記述の深まりを犠牲にしており、勝ち負けに終始するスポーツ漫画か緊張感を欠く酒場での小話程度のものとなってしまっている。

ただ、今回読んだ中でもっとも最近の作品である『檀』では、檀夫人による夫との生活のいみの問い直すというプロセスで、視点の変化が取り入れられていた。つまり、沢木自らの視点を背後に隠すことで、過去を語る主人公の視点が変容していくのにあわせて、単に妻としてのプライドや一定の愛情という視点から、より深く飾り気のない愛情という視点に、記述の視点自身を移行させていくのである。この点は、筆者の論点から見て非常に評価できるし、実際筆者には一番面白かった。ただ、沢木自身はあくまで漁夫の立場にとどまったままであると言えるかもしれない。

沢木作品を総合評価する。沢木の作品は、視点をしっかり取ること、しかも通常見落とされがちな出来事や人々に焦点を当てるという点で面白いものとなっている。ただ、その視点が沢木の設定する「勝ち負け」的なゲームにおける視点に限定される点で深まりを欠いていた。沢木はもともと「戦いとしての人生」という視点からのルポに終始していたが、おそらく『深夜特急』あたりから次第に視点の相対性を取り入れようとしていた。だが、それは単にさまざまな視点を描くにとどまっていた。しかし、『檀』においては、檀夫人の人生を賭けた視点の深化がそのまま記述の深化となっており、そのいみではもっとも面白くなっていた。

2005,03,20 ともかくwebページをたちあげる。

世の中、あちこちに哲学はある。哲学的なテーマでたくさんの本や論文が公刊されており、またたくさんの学会や研究会が開催され、数多の講義が町々で開講されている。そして、文字や記録にもならない日々の会話や個人的な思考が無数にあり、さらに言葉にもならない無数の沈黙の思いが生まれては消えていく。こうして遍在している哲学の世界に、自分の言葉で自分の国を持てる者は幸いである。

この世界で自分の国を持つことはある意味では難しくはない。ただ、自分の言葉を紡ぎつづければ、そこが一つの国となる。だが、自分の国を維持しつつ豊かにしていくのは簡単ではない。開国すれば大国にもみ潰されるか植民地とされてしまう。かといって、ずっと鎖国していれば訪れる者もなくいびつに凝り固まり消えていくだけである。哲学の風に絶えず自らをさらし、国から国へと渡り歩く旅人たちに門を開くことで、この世界にいみのある形で自分の国を置くことができ、自分自身が一人の旅人となって胸を張って他の国を訪れることができる。国を持つことは、この世界でパスポートを持つことである。

ここで、自分の考えたことをまとめて公開し、ごく小さな自分の国としよう。そして、そこを訪れるこの世界の旅人とのささやかな意見交換の場としよう。この世界で、有意義な意見交換の機会を持つことは、実は難しい。無関心とすれちがいがほとんどである。その原因は、自分の言葉での議論を持つことが、なかなか難しいからであろう。われわれは暇ではない。ついつい効率的に自分の必要とする見栄えのする建物を得ようとしたり、人の国についてざっと地図を描いて済ませてしまおうとする。情報はダウンロードしたり、コピー&ペーストするのが早い。学生時代のように、稚拙な言葉で不毛な議論を延々と堂々巡りしているような余裕なんてないのだ。だが、そうやって、いわば「徒歩」でお互いの国を実際に訪問し合って、歩調を合わせて共に歩くことでしか、じっさいに豊かさを生み出すことはできないだろう。なぜなら、思想は服や建物ではなく、身体や土地そのものだからだ。

そんなんで、ともかく自分のページを立ち上げてみました。大学ノートにちょこちょこ書いていたようなことのある一部を、Web上に公開していきます。今のところHTMLでずらずら書き出しているだけですが、ちかいうち掲示板形式にして、なんとか対話性を実現しようと思います。