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 このサイトの責任者のPROFIELE

吉田寛。和歌山県出身、京都市在住。この2005年春にようやく学位(文博)取得。ここでは自分の好きな、あるいは自分の望む時間の過ごし方について考えて自己紹介としよう。それはなんといっても、自然とか気の合う友人とか、あるいは自分自身といるときだ。一番リラックスしていて、まさに自分自身であり、しっかりした時間を過ごせているという気がする。他方、差し迫って仕事に追われていて夢中で生きているのもそれはそれで充実している。自分に負荷をかけつつ自分の中から何かを搾り出そうともがいているときも、それはそれで、しんどいし嫌な時間ではあるのだが、同時に充実し面白い時間でもある。もし、まとまった時間があれば、好きな本とパッドをもって、国内外を問わずに、山道を歩いたり、岩に取り付いたり、道端で昼寝したり、遠くの知り合いを訪ねたりする旅に出たい。

【読書について】私の読む本は物語か教養書か思想・哲学かだが、そのときどきでテーマを絞って集中的に読む読み方だ。たとえば今ならば、物語で言えば、コンパクトな電子辞書でも買ってLe guinかEndeでも時間かけて読んでいきたい。教養書については今は仕事に関連して情報倫理関連のものを技術的なものから社会的、哲学的なものまで読み広げたい。思想書に関しては、最近のテーマは<視点>と実在論であり、これについてパトナムの議論を追跡すること、またフレーゲと言語外の視点についての調査を進ようかと思う。

【哲学について】卒論は北大の坂井先生の下で、言語論や知識論的関心から、パスカルの科学観と宗教観を整理した。修士論文、博士論文は京大の伊藤先生のもとで前期ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』の思想を解明しようとした。博論が終わったところで、茫漠とした海に出て、さてどちらに進もうかという感じだが、情報倫理、工学倫理も勉強しつつ、ウィトゲンシュタインからダイアモンド、パトナムへというあたりから進めてみよう。<視点>の問題に関心を持っており、<視点>というと「他者」の問題にしてしまいがちだが、私にとって「他者」はそんなに問題ではない。いや、もちろん関心はあるのだが、一番のポイントはずれていて、他者も含めて、喜びや悲しみや感動や驚きの湧き上がってくるその源泉を、「実在論」という哲学的、形而上学的立場の検討を通じて探求したい。考えてみたら、「実在」とは自分の任意性の外にあるもので、プラトンの「イデア」、パスカルの「神の秩序」、カントの「物自体」、ウィトゲンシュタインの「世界」であり、くりかえしくりかえし価値と美の源泉とされてきたのであり、それは他者にも通じるものである。そして、私の感じでは、自分の有限性を自覚することが、この種の深く豊かな実在論のミソなのである。それが一点。もう一つは、哲学が生きられるものであるということ。サルトルがアンガジュマンと言ったのはもうだいぶ昔のことになるが、倫理の専門家は倫理的である必要はない、とか、モラル・プロビゾワールとか、どこかで聞いたような免罪符を、よく考えることもなく得意げに振り回したり、哲学のジャーゴンを誇ったりするのはもう止したい。それは単なる自分の方針、方法なのではなく、哲学そのものの本質、内容でもあるというのが要点である。

【山と自然について】最近はアルピ二ズムでも旅でもない感動を求めている自分があり、その感動のありかと内実をすこしづつ探求し深めていきたい。今はちょっとした街道歩き、近郊の山道歩き、小さなボルダーなどのほうが、冬のアイゼンピッケルとか、夏のリゾート縦走とか、ザイルを張って攀じる岩場より、なぜか素直に感動できる。たぶん、計画の完遂、とか、危険の回避とか、によって生の充実を感じたいとは思っていなくて、もっとありふれていて自分を支えつづけている小さなものに気づいていきたいのかもしれない。もっとも、大きな山スキーの山行には今も惹かれ、北海道原始が原とかアラスカ・ブルックス山脈とか、中国ムスターグ・アタなどには、都合がついたら多少無理してでも行きたい。毎年一度は、地球という星を実感できるぐらいの宇宙的場所に行ってリフレッシュしたい。最近は海が好きになってきている。金と場所の都合がついたらヨットとカヤックを練習して、海から山や森、川にアプローチできるようになりたい。岩場では、ゆっくり考えつつ、味わいつつ、岩としっかりコミュニケーションしつつというような登り方を身につけたい。

【銭湯と昼寝】京都の銭湯はすばらしい。昔からその町になじんで残っており建物も雰囲気があるし、汲み上げている水の水質もすばらしく、東京や札幌、その他いくつかの場所と較べて石けんのあわ立ちや皮膚へのなじみ具合はダントツであると思う。だいたい、京都は夜がいい。ちょっと街角を曲がるといきなり漆黒の闇で、音が吸い込まれていく。チンピラや下品なよっぱらいも、本当はちゃんといるのだが、それなりにどこかにうまく収まっていて、だいたい気持ちよく飲めるし、古い家が多くて空気はやわらかいし、高さ制限のせいで空も比較的広いし、ドライバーは歩行者に(仕方なしにかもしれないが)注意しているし、大学もお寺も神社も、夜でも境内には入れるし、鴨川はいつも山の涼しい空気を運んできて、すべての岸辺が歩行できるし、疎水ぞいの道は自動車もすくなく、桜やホタルがゆっくり楽しめる。観光客も少ないし、どこかでお祭りとか、月見、花見の宴をやっていたりして、市民と学生の時間帯という感じがする。そして銭湯がそこここにあり、おいしいラーメン屋が遅くまでやっていて、治安もわるくない。たいてい風もなく、静かに盆地の重たい空気がたまっている。京都を好きな人は、ぜひ夜にあちこち出歩いてみてほしい。だが、この町は昼寝には向かない。札幌は、午後の昼寝が最高で、どの公園も芝生があり白樺のあいだでたっぷりスペースがあって、人も車も気にならないところでゆっくり昼寝できた。北大と植物園のエルムの木陰は、なかでも最高のスペースだ。昼寝できる場所がちゃんとある町はすばらしい。田舎はちょっとさがせば昼寝できる場所がある。東京や大阪はだめだ。なぜか、僕は新宿御苑や皇居、大阪城公園、京都御所ではだめなようだ。昼寝のことをよく分かった人たちの住む街で生活したいと思った。北米を旅すると、イギリス人の作った街とフランス人の作った街とで全然違う。昼寝と銭湯と居酒屋とラーメンのことをよく分かった人々のすむ街に住みたいものだ。

結局、エッセー風にしか書けない自己紹介であった。

研究・教育のプラン(10月)

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