コンピュータはますます小さく、ネットワークはますます大きくなった。
そこで、<誰でも>、<いつでも>、<どこでも>、情報にアクセスして情報を処理できるように。「情報化社会」→「IT革命」→「ユビキタス」→? 結局、同じこと。ひとつの時代の流れ。
例:超大型コンピュータ(国家プロジェクト・街じゅうの電気を奪ったらしい)から本より軽いノートPC(ビジネスホテルでコーヒーをこぼしても壊れない・1Kgに満たない)や手のひらに収まる携帯電話(javaも動く・誰でも使える・コミュニケーションツールから進化:財布、ゲーム、カメラ、ワープロ、etc。)へ。
ナノテク、インフラ、ビジネスモデル、etc。これからもより便利に、スマートに。音声認識技術がもっと発達して話しながら携帯で論文が書けたらいいな。空間ディスプレーができたらいいな。切開の不要な手術が発達したらいいな。etc。
もっと、人間的な生活が実現できるはず。単調な繰り返し作業や、目や腰の疲れる作業や、狭い部屋重い荷物、わけのわからない情報の独占と操作そして混乱、危険を伴う身体や自然そして人工物の検査と修復、大量生産と技術革新の20世紀を特徴づける、こんな非人間的なことから人類はとうとう解放されるのか。われわれはより軽やかに、より自由に、より豊かに、より安心して、より楽しく、繋がって、生きていけるかもしれない。
ともかく、そのうちわれわれは、いわば魔法使いの世界に住むことになる。そしてコンピュータ技術者たちは<魔法使い>になる。システムのユーザである一般市民たちは、この不思議な世界の中で簡単な呪文を使いこなして、生きていく。これに対してコンピュータ技術者たちは、いわば彼らの指ひとつ呪文ひとつで世界の成り立ちを変更することのできる魔法使いだ。大魔法使いがその気になれば世界を滅ぼすことができるように、技術者たちはシステムを育てることもできれば、システムを破壊することもできる。そして、システムを利用して、ひとびとを支配することもできる。
個人情報は、いわばそのひとの真の名であり、これを奪われるとその世界の中でひとは支配されてしまう。著作権法や個人情報保護法などは、いわば安全な居住区やビジネス街を提供するが、悪い魔法使いたちばそこを飛びまわって、ひとびとが気がつかないうちに彼らの名前と言葉を奪い売りさばく。一方で、自分の力を惜しみなく提供して、市民の側で安全で暮らしやすい街づくりに協力している技術者たちもいる。この世界では、そこここに魔法使い達の作り出したさまざまな奇妙な場所があり、ひとのようなさまざまな影が本当のひとに混じって暮らしている。サイバースペースは、いまやwebから溢れ出し、現実を覆いはじめている。「ユビキタス」の時代とは、いわばこんな世界だ。
だから、情報倫理。この世界は、われわれが作るものだから。
生活者であっても、技術者であっても。
法律や技術だけでは、不毛な争いと混乱が支配するだけである。倫理は、いわばめんどくさいものだが、もっとも効率がよい。だから倫理はあったほうがよい。それどころか、たぶん、倫理がなかったらこの世界の意味もなくなってしまうだろう。
だから、情報倫理。
コンピュータとひとがうまくやっていくには、ひとはどうしたらよいのか。これがテーマ。
最初に、社会システム的な話から入って、すこしずつ人間性に関わる哲学的は話題に進めていこう。
大学での教養教育に、コンピュータの専門学校の基本的教養として、関心を持つ社会人へ。単なる、ネチケットや、ビジネスマナー、身を守るためのノウハウではない。コンピュータ時代の辞書でも、ニュースをまとめたものでもない。
問題中心。そして答えが強制されることはない。
ひとがコンピュータと生きるこの時代を見通す一つの観点が示され、いくつかの見方が対立させられる。そして、自分の観方が問われ、立場が問われる。
考える力を身につける。ただ、パズルを解く力ではなく、また生き延びるためだけに工夫するのでもなく、この世界の市民として責任を持って考える力を身につける助けとしたい。
技術は日々革新され、社会はつねに動いている。知識を羅列しただけのテキストであれば、すぐにアナクロになり、せっかく勉強したものも歴史的知識にすぎなくなり、現実的実践的な意味あいを失っていくだろう。だが、考える力は、常に生き続けるはずだ。そのときどきの情報はその都度、入手するほかない。だが、一度身につけたしっかりした考え方は、その情報収集にも、そしてその情報から適切な答えを導き出すのにも、役に立つはずだ。